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珈琲とクラシックの店クライバー(kleiber)3

仙台市一番町にあるクラシック音楽を聴きながら珈琲を飲める喫茶店への訪問記録です。

第11回目

 11月下旬、仙台でコンサートを観た帰り、勾当台公園駅で地下鉄を降りクライバーへ行きました。仙台駅近くのイチョウ並木は黄色くなっていましたが、クライバーへ歩いていく常禅寺通の並木は、ほとんど葉が落ちて幹と枝だけになっていました。季節の移り変わりを感じました。

 お店へ入るとバッハのフルート・チェンバロソナタの静かな音楽が鳴っていました。いつも後ろの席に座っていたので、今回はスピーカーのすぐ前の席に座ってみることにしました。

 後ろを振り向くと、数千枚くらいはあろうかというCDの棚が見えました。壮観です。私も大きな棚を部屋に入れて、全てのCDを部屋に置きたいのですが、空間的に無理なのが残念です。やむなくCDはハードディスクに取り込んで、音楽ファイルをコンピューターで再生させるという手法を使っています。


(イチョウが葉が黄色になっています 落ちた銀杏の行方はどうなったのでしょうか)

 そして、どこのジャズ喫茶クラシック喫茶でも思い、それほどのコレクションも無い私ですら思うことなのですが、全ての音楽CDなりレコードを全て聴く時間がどれくらいあるのだろうと考えます。せっかく買ったものでも、好き嫌いが出てきて、何度も聴くディスクもあれば、一度聞いてあとは忘れ去っているのもあるのです。そういう意味では埋もれたディスクの有効活用といいますか「死蔵していてはもったいない。」という気持ちがあります。

 自分にとってはあまり気持ちよくないレコードでも、日本の誰かにとってはかけがえのない感動を与えてくれる一枚になっていたかも知れない。などと考えると、レコードとの出会いや相性も、人とのそれと同じで一期一会だと感じます。

(2010年02月02日)

第12回目

 1月中旬、この日はジャズ喫茶カウントからクライバーへはしごしました。普通のサラリーマンとかなら、飲み屋をはしごするのでしょうが、私は喫茶店をはしごです。酒もタバコもやらないので仕方ありません。レコードを聴きながら静かな時間を過ごしたいのです。

 この日は声楽合唱がかかっていました。教会音楽でしょうか。天にも昇るような美しい調べでした。次にブラームスのバイオリン協奏曲がとなると、前のCDとは一転してエネルギーに満ち溢れたバイオリンとオーケストラの音楽。どちらも目を閉じると、スピーカーの少し後ろに音場が表現されていました。



 この喫茶店はスピーカーの真ん中という席はないのですが、中央から外れても、ちゃんと音場を表現してくれます。

 いつもソナスファーベルが鳴っているのですが、このスピーカーのよこにはダリのヘリコンも設置されています。このヘリコンはいつ鳴っているのでしょうか。

 クラシックを楽しんで、おいしい珈琲を飲み、500円玉を払って店をでました。珈琲を飲みながら音楽を聴いて500円玉というのは、かなり充実したお金の使い方だと思います。



(2010年02月02日)

第13回目

 1月下旬、仙台へ行った帰り、クラシックと珈琲の店クライバーへ行きました。風がとても強く、冷たい日でした。こういう日になると、電車のダイヤが乱れます。仙台の通りを歩いていても耳たぶが冷たいのです。またこういう日に飛行機に乗って上空を飛ぶと、上下の加速度を体感できます。


(定禅寺通沿いのビル)

 店に入ると、バッハの曲がかかっていました。たまに、ジャズのシンバルのはじけ飛ぶ音に耳をやられている私としては、チェンバロの音色が、ややもすると物足りなく感じてしまうことがあります。ところがピアノの音色は実に耳に心地よく、滑らかな感触です。スピーカーからの音量の大小でも、ガラリと音が変わってきたりするので、本当に油断がなりません。

 最近は住んでいる部屋から、愛用しているビクターのSX-500DEを、大音量で鳴らすため別の場所に移動しようかどうか悩んでいます。

 ジャズ喫茶ではジャズしか鳴らない。当たり前です。昔、ジャズ喫茶ベイシーでクラシックを聴いた記憶もありますが、それは例外的な事のようです。そしてクラシック喫茶ではクラシックしか鳴らさない。これも当たり前です。しかし、ソースを交換したら一体どんな音が流れてくるのか。想像すると興味が尽きません。

 この日も一時間程クラシックを楽しんで店を出ました。


(定禅寺通)

(2010年02月02日)

珈琲とクラシックの店クライバー閉店

 去る平成22年2月10日(西暦2010年)、珈琲とクラシックの店クライバー(kleiber)が閉店した。

 私は仙台へ出張や用事がある度に行っていた。

 クラシックを聴きながらおいしいコーヒーを飲み、自省的で静かな時間を過ごせる貴重なお店だった。

 それだけでなく、時折かかる勇壮なオーケストラに心を奮わせることもあった。

 私にとって仙台へ行くことは、クライバーへ行くことでもあり、楽しみなことになっていた。

 楽しみであると同時に当たり前のこととなってしまった。

 当たり前になっている存在が消えてしまうことは、ことのほか悲しい。

 無くなって気づく貴重な場所と時間。

 もっとあの場所に居て音楽を聴いておけば良かったと、後から思い返す。

 仙台へ行くときの楽しみが減ってしまった。

 ただ何度かリクエストをお願いしただけで、店主と言葉を交わしたことはほとんど無かった。

 店主の選曲や物静かな立ち振る舞いからいろいろと想像していた。

 有り難い時間を過ごし音楽を聴くことができたのは、ひとえに店主のおかげだった。

(2010年03月03日)

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